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AI投資が急成長しています。しかしAI活用がPoCで止まるケースが多々あります。

 数十億ドル規模の取引1が増え、資金調達ラウンドが過去最高額を記録2する中、AIインフラストラクチャーへの世界全体の支出は2,000億ドルを超える見込みです3。しかし、このブームの裏で、別の現象が見えはじめてきました。ほとんどの組織が「PoC止まり(pilot paralysis:パイロット段階での停滞)」に陥っているのです。

 『2025年版Kyndryl Readiness Report』によると、ビジネスリーダーの4分の3近くが、本番移行できる現実的な数を超えた件数のPoCを抱えていると話し、半数以上がイノベーションの停滞を認めています。生成AIに関するマサチューセッツ工科大学(MIT)の報告書5では、さらにはっきりとした隔たりが明らかになっています。統合PoCのうち、実際に収益をもたらしているのは、わずか5%だというのです。

 私はデジタルポリシーコンサルタントとして、このような課題を克服するため、世界のビジネスリーダーと密接に仕事をしています。行動しないことは「負け」だと理解し、AIの実証実験に果敢に乗り出した企業の多くが、「どう着地させるか」を見失い、気づけば宙に浮いたまま身動きが取れない――そんな現実に直面しています。

 そこで企業に求められるのが、戦略との整合性を担保しつつ、挑戦とイノベーションを継続的に生み出すメカニズムです。

 メカニズムとはずばり、健全なガバナンスです。そして、その鍵となるのがポリシーです。最適なポリシーは、イノベーションを妨げません。むしろ、ガバナンスを機能させるための枠組みとなります。この枠組みは、誰がどのデータをどの条件下で扱えるのかを、そして成功の定義を明確にすることで、イノベーションを可能にします。

 これはつまり、ガバナンスがあれば、成功とは何かという明確な指標を持ちながら、AIや新技術を自由に活用できるようになるということでもあります。こうした指標は、PoCが企業の複雑な事業領域全体にスケールできるか、そしてスケールするべきかを判断するで非常に重要です。

 AIが驚異的なスピードで進化し続ける中で、ガバナンスの実践は複雑な課題です。しかし、組織には新しい機能を試す自由も必要です。AIガバナンス委員会を立ち上げたり、AI責任者を任命したりするだけでは、PoC止まりは解消しません。単なる規制にしかならず、ビジネスの推進力として機能しないポリシーは、実験の自由を余計に奪うだけで、イノベーションを加速させるどころか制約してしまいます。

 企業がPoC止まりから抜け出すための最も確実な道は、ポリシーとガバナンスを「足かせ」から、明確なビジネス価値につなげる「架け橋」へと変化させることです。

不明瞭なポリシーがPoCを行き詰まらせる

 PoCが行き詰まる最大の理由は、実験フェーズをいつどうやって抜けるべきかが不明確なことです。イノベーションをスケールさせための指針がなければ、PoCが成功しても標準業務に移行できません。

 多くの企業で、同じような足並みの乱れが見られます。

 目標や成功の指標が曖昧で、経営層がAIに熱心でも、それで何を達成したいのかというビジョンが共有されていません。また、ROIやイノベーション指標といったPoCの評価基準も定義されぬままです。

 責任の所在も、往々にして不明確です。PoCがビジネス価値を証明したか、ビジネスに実装すべきかを判断する役割を、誰が担うかが決まっていません。PoC以外のAI関連の責任も、大抵は縦割りのチームに押しつけられるか、AI責任者やガバナンス委員会に委ねられるかのいずれかで、後者の場合はビジネス成果よりも安全対策やコンプライアンスが重視されがちです。

 AIポリシーは多くの企業にありますが、企業ガバナンスや戦略との結びつきが弱く、棚に置かれたままの「お飾り」となってしまっているケースがほとんどです。丁寧に文章化されているが、使われることがない。そんなAIポリシーでは、日々の意思決定を導くことはできません。PoCを次へ進めるべきか、進めるとすればどのようにするか、判断基準も不明確なままでは混乱を招きます。

 皮肉なことに、過剰な自由は混乱を生みます。企業は次の一歩をためらってしまうかもしれません。乗り越えて前に進んだ場合も、ガバナンスを時期尚早に適用してイノベーションを止めてしまったり、ガバナンスの対応が遅れてリスクを増大したりしがちです。

 企業がPoC止まりから抜け出すための最も確実な道は、ポリシーとガバナンスを「足かせ」から、明確なビジネス価値につなげる「架け橋」へと変化させることです。

ガバナンスと健全なポリシーの導入でPoCの停滞を乗り越えた実例

 最近、担当したある企業は、3つの市場で同じ目的のPoCを並行して進めていました。狙いはCRMデータを活用した新規顧客開拓。しかし、PoCは重複し、縦割り構造に陥り、案の定どれも停滞していました。

この企業の状況は、PoCに関する知識の共有を義務化する、ガバナンスの枠組みとポリシーを導入したことで変わり始めます。社員が、各自のAIスキルを高めることが日常業務の効率化につながることに気づき、積極的にPoCに参加するようになったのです。PoCは質の高いものに集約され、件数は減ったものの、実運用にたどり着くものが増えました。

 これはガバナンスとポリシーが「つながり」をつくり出し、コラボレーション、データの共有、一貫性を促した、成功事例です。

 健全なポリシーは、「壁に囲まれた庭」のようなものです。その中で、イノベーションは花開くことができます。庭の外にはさまざまなリスクが潜んでいますが、庭の中ではリスクが最小化され、安全策が整っています。庭の広さや壁の強度は、組織のリスク許容度によって異なります。しかし適切なポリシーがそうであるように、この庭は安全を確保するだけでなく、創造性を発揮する柔軟性も備えているのです。

 健全なポリシーは、PoCから本番移行を可能にする枠組みをつくり、その中で自由度を高めます。このようなポリシーがあることで、誰がPoCの本格導入を判断するのかや、AIライフサイクル全体で維持すべき基準(監査やバイアス検証、ROIの確認など)を明確にできますし、PoCを安全に行い、スケールに値するAI活用法を探る権限を各チームが持てるようになります。

ポリシーの力を解き放つ

 デジタルポリシーの力を企業に解き放つ支援を数十年続けてきた中で、私は健全なガバナンスがいかにイノベーションを前進させるかを見てきました。しかし、真のAIレディネスを得るには、単にポリシーを明文化するだけでは不十分です。AIをスケールしようという企業の、成功を加速する4つのキーファクターを紹介します。

企業カルチャー

 ガバナンスの定着は企業によって容易さが異なり、その差は地理や業界の傾向よりも、文化に起因することが多くあります。

 強力なガバナンス文化を持つ企業のリーダーは、正確性、創造的な問題解決、そして適応力を重視します。エンジニアリング的な思考により、迅速な意思決定と、進化の速いテクノロジーに追随する柔軟性を両立させているのです。

 このような企業の文化には、「AI時代において誰もが役割を持つ」というインクルージョンの精神があります。リーダーがビジネス価値やリスクについてのオープンな対話を促し、変革マネジメントを重視することで、社員は企業のAI戦略を信頼し、イノベーションを推進するアイデアを生み出しやすくなるのです。

 私はこの一例を、あるグローバル企業の一国のチームがAI活用型サービスのPoCを企画する中で見ました。センシティブなデータを扱うリスクがあったため、ほかの企業であれば優先度を下げられたか、提案すらもされなかったかもしれません。

 しかし、この企業には、イノベーションや型破りな思考を大切にする文化がありました。チームは合成データ(実データを模した人工データ)を使ってこのサービスを試験運用し、圧倒的な成功を収めました。実データを取り込むメリットが十分にあると確信し、PoC段階を迅速に乗り越えて本番移行に踏み切れたのは、この文化があったからこそです。

戦略と結びついたガバナンス

 企業がポリシーを策定する際に、必ず問うべき重要な質問があります。それは、このポリシーがビジネス戦略とどう結びつくか、ということです。

 何をガバナンスするかよりも重要なのは、ガバナンスの基本をしっかり整えること──その第一はビジネスとの整合性です。過去のテクノロジーのガバナンスの中でこの力を培った企業は、現在、比較的容易にAIに適応しています。そうした企業は、次のテクノロジーの波が訪れたときにも、柔軟に方向転換できるでしょう。

 最近アドバイスを行った欧州のある金融機関では、事業・全社的リスクに関するポリシーとAIポリシーを統合していましたAIポリシーを単なる一過性の仕組みではなく、企業全体のガバナンスの延長線上に位置づけたのです。

 このアプローチによって、この金融機関はリスクをビジネス価値と比較し、ひとつひとつのAIユースケースを評価できるようになりました。つまりは、PoCを本格導入すべきタイミングを見極められるようになったのです。

 ガバナンスの基準を、不正防止の達成度やカスタマーエクスペリエンスの指標などビジネス目標と結びつけたことで、コンプライアンスは「意思決定を遅らせるボトルネック」から「意思決定を加速する推進力」に変わりました。

 その結果、半年もしないうちに、2つのAIモデルを全社展開しています。ガバナンスへの一貫したアプローチがイノベーションに青信号を灯したのです。

共有フレームワーク

 ほとんどのビジネスリーダーが、AIが今後1年で役割や責任を根本的に変えると予測しています4 。しかし、その変革をどう主導するのかを示せる企業はほとんどありません。

 経営層がAIの専門家になる必要はありません。しかし、技術とビジネスの間のギャップを埋め、価値・リスク・準備度という共通言語で意思決定を支える役割は不可欠です。それが「AI翻訳者」です。

 「AI翻訳者」は、技術とビジネスの橋渡しを担い、部門ごとに異なるAIポリシーの解釈や適用を一元化します。これにより、経営層も技術部門も、同じ基準で意思決定できるようになります。特に、複数の事業部門でPoCが並行し、サイロ化しやすい大企業では効果的です。

 また、「AI翻訳者」はAIガバナンスを担うチームの一員として、PoCがビジネス戦略に沿って進んでいるかチェックし、イノベーションの妨げないよう留意しながら、責任あるAI利用を確保します。このAI翻訳者モデルを機能させるためには、全社共通の意思決定ルールを定めつつ、現場の状況に応じて柔軟に運用できるポリシーの「ひな形」が必要です。

 AI翻訳者は、経営層と連携し、AI導入の目的(効率化、リスク低減、顧客獲得など)を明確にし、評価しやすい目標やガイドラインに落とし込みます。こうした目標やガイドラインは、「PoCはどの領域で進めればよいのか」「ガバナンスがどの段階から適用されるのか」「各AI施策はどんな基準で成功と判断されるのか」を現場が理解する手助けとなります。

タイミングの正確さ

 成功する企業は、PoCからガバナンスを伴う本格運用へ移行すべきタイミングを上手に見極めています。

 私がアドバイザリーを務めたある自動車部品メーカーは、タイミングの重要性を身をもって体験しました。同社はAIを活用してサプライチェーンの効率化を図ろうとしていましたが、従来のやり方を変え、PoCを民主化する方針を採用。全社から優れたアイデアを募り、最も優れた提案には奨励金を支給するようにしました。

 採用されたのは、メンテナンスチーム発案のアイデアです。センサーデータを使って設備の故障を予測し、自動的に部品発注を行う予知保全モデルでした。しかし、同社はすぐにガバナンスを厳格化するのではなく、まずPoCでROIを測定。わずか3か月で突発的なダウンタイムを14%削減する、という成果を確認してから、正式なガバナンスを導入しました。

 この時点ではじめて、モデル監視の基準、データ取り扱いルール、エスカレーション手順など、具体的な運用ポリシーを策定したのです。

 このアプローチにより、同社は類似のAIユースケースを世界中の工場に展開するための「プレイブック(運用設計)」を手にしました。すべてを一度にガバナンスしようとするのではなく、成熟度に応じてポリシーを進化させていく方法を習得した事例です。

 ほかの企業に示す教訓は明確です。「イノベーションが先、ポリシーがあと」。ポリシーとは、成功パターンを再現性ある実践法に落とし込むため、あとから整備すべきものなのです。

 ガバナンスの基準を、不正防止の達成度やカスタマーエクスペリエンスの指標などビジネス目標と結びつけたことで、コンプライアンスは「意思決定を遅らせるボトルネック」から「意思決定を加速する推進力」に変わりました。

PoC停滞を超え未来の技術に備える

 PoCから本番への移行率、地域をまたぐ多様なユースケース、そしてアイデア創出に積極的に関わる社員の姿は、企業がPoC止まりの状態からどれだけ抜け出せているかを示す指標になります。

 AI投資へのリターンは、なかなか得にくいものですが、PoCの課題解決は企業をリターンの獲得に近づけます。一方、レディネスとは蓄積していくものでもあります。現時点で経営層がいかにAIを本格運用できているかは、今後登場する6G、XR(拡張現実)、量子コンピューティングといった新技術をいかに採用し、価値を引き出せるかにも関わってくるでしょう。

 ポリシーはスケーラビリティを左右する不変の要素です。今、AIガバナンスに積極的に取り組む企業は、今後も技術をより早く取り入れ、恩恵を享受できるでしょう。成功の鍵は、ポリシーを足かせではなく「発射台」に変えること。それも、企業の成長を加速させるだけでなく、精度・統制・自信をもって着地できるよう、整えてくれる「発射台」です。

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