この記事の内容
変革の鼓動は、より大きく、より速く、そして容赦なく世界を揺るがしています。その変革に対応する力は、「人」に主眼を置いた技術導入で育てていくことができます。
リインベンション・アカデミーでは、「変化のスピード」に関する調査を、お客様や関係者と協力し隔年で実施しています。2,000人以上のマネージャーを対象にした調査で、「生き残るためには3年以内に自社を再構築する必要がある」と回答した人は、2018年には47%でしたが、COVID-19の最中の2020年には60%に跳ね上がりました。破壊的変革が、急速に進んでいることがわかります。
このような状況に立ち向かうため求められるのが、継続的な「リインベンション(再構築)力」です。しかし、ほとんどの企業はまだそれを修得できていません。ここで意外な役割を発揮するのがAIです。AIは単に企業が乗り越えるべき新たな技術的課題ではありません。企業が再構築のための“筋肉”を鍛えるための、理想的なトレーニングの場となり得るのです。
重要なのは、ここからです。AI導入の成功に必要なのは、効率の最大化でも、目に見えるものをすべて自動化することでもありません。それは、多くのリーダーがまだ考えたことのないような方法で、従業員体験を根本から再構想することにあるのです。
経営層と従業員とでAIに期待するものは違う
現在、AI導入を進める多くの企業内で、深刻な乖離が生じています。私たちがさまざまな業界の企業と業務改善に取り組む中で見えてくるのは、経営層がAIを「スピードと効率のためのツール」として推進する一方で、従業員が急激な変化の波に溺れているという現実です。
この乖離は、従業員がAIに何を求めているのかを経営層が根本的に理解していないことに起因します。経営陣が生産性向上やコスト削減を重視するのに対し、従業員が求めているのは業務の加速ではなく、負担の軽減です。実際の数字が驚くような状況を物語っています。ギャラップ社の「2025年版 世界の職場の現状レポート」によれば、従業員エンゲージメントは危機的水準にあり、79%が業務への熱意を失うか、積極的にさぼっているような状態にあります。これは単なる生産性の問題ではなく、人間のキャパシティが持続可能な限界を超えていることを示しています。
従来、AIは「いかに速く、安く、多くの仕事をこなすか」という効率化の視点で語られてきました。しかし、AIの力はそれだけではありません。業務へのエネルギーを高める、変革的な可能性もあるのです。AIは生産性を高めるだけでなく、従業員のストレスを軽減し、余裕を生み出し、仕事に前向きな認知や感情を回復させる、そんなテクノロジーにもなり得ます。
AI導入は業務のためではなく働く人のために
AI導入で成功している企業には、共通点があります。それは、業務効率ではなく従業員のウェルビーイングを起点としていることです。まず立てるべき問いは「AIでいかに効率化するか」ではなく、「AIでいかに人間らしい働き方を実現するか」です。
この視点の転換は、AIの導入とスケールのあり方を根本から変えます。AIによる業務改善はトップダウンで行うのではなく、負担の大きなくり返し作業や認知的に疲弊するタスクをAIでどう解消できるか、従業員が主体的に発見できるような環境を整えることが重要です。
こんなふうにとらえ直してみましょう。AIは人間の能力にとってかわるものではなく、本当に価値のある仕事に人間のエネルギーと集中力を向けるための存在であると。従業員がAIを「負担を増やすもの」ではなく「摩擦を減らすもの」と認識したとき、導入は加速し、イノベーションが花開くのです。
AI導入はプライベートな課題解決から取り入れるのが効果的
私たちがこれまで見てきた中で、企業のAI導入に最も効果的な方法のひとつが、私たちが「健康チャレンジ・アプローチ」と呼ぶ戦略です。この手法は、組織の変革マネジメントに深く根ざしています。
ウォルマートが2005年頃に展開しようとした新サステナビリティ戦略は、驚くほど導入率の低いものでした。管理職にとってそれは、膨大なリストに加えられた「もうひとつのタスク」に過ぎなかったからです。そこで同社は方針を転換し、企業施策ではなく、個人の持続可能性とレジリエンスに焦点を当てたキャンペーンを展開。その結果、従業員のエンゲージメントは急上昇しました。
私たちはこのウォルマートの事例からの学びを、リインベンション・アカデミーでのAI導入に応用しています。私たちが運営するAI関連のワークショップは、事例紹介などビジネスの話からスタートするプログラムにはなっていません。それでは参加者の心を掴めないからです。代わりに、参加者ひとりひとりに睡眠の質の向上、ストレス管理、栄養習慣の改善など「個人的な健康課題」を選んでもらい、それに対するAIの活用方法を体験してもらいます。この方法は、エンゲージメントを劇的に高めます。
具体的には下記のような方法です。
選んだ課題が「睡眠の質の向上」であれば、AIでスケジュールを分析し最適な就寝時間を割り出してもらったり、睡眠の質に影響する環境要因を追跡したり、リラックスのために取り入れるべき習慣の提案を受けます。「栄養改善」ならば、食事計画や代替食材をAIに提案してもらったり、栄養に関する複雑な情報をわかりやすく教えてもらいます。
このアプローチが効果的なのは、個人にとって意味があり、すぐに役立つからです。従業員はAIを業務課題に適用する前に、自分の生活の中でそのメリットを実感できます。本当に関心のある内容を通じて、AIのインターフェースに慣れ、プロンプト設計を理解し、AIが人間の判断にとってかわるのではなく、補完することを体験してもらうのです。
この体験が生むAIへの安心感は、計り知れません。AIとの初めての接触が、リスクが低く、個人的に有益な体験であれば、職場でのAI活用も恐れず好奇心を持って臨めるようになるのです。
どんな仕事が従業員のエネルギーを最も奪うのか
もうひとつの戦略は、私たちが「エネルギー消耗検知」と呼んでいるものです。これは、従業員のエネルギーとモチベーションを最も奪うタスクを体系的に特定し、AIを使ってそれらを排除または変革する方法です。
エネルギーを奪うタスクとは、必ずしも時間を大量に消費するものではありません。むしろ小さなくり返し作業で、集中状態を中断させるようなものであることが多いのです。たとえば、レポートのフォーマット調整や、時差を越えてのスケジュール調整、複数のシステムから情報を探す作業、慣れない人のために専門用語をわかりやすくする作業などです。
私たちが関わったある製造企業では、エンジニアが膨大な精神エネルギーを費やしている業務が、複雑な問題解決ではなく、状況報告書を非技術系の同僚がわかるように書くことだとわかりました。そこで、技術用語を一般的なビジネス用語に変換するシンプルなAI翻訳ツールを導入したところ、エンジニアは本来の課題解決に集中する余裕を取り戻すことができました。
ここでの重要な学びは、従業員がAIを最も積極的に受け入れるのは、AIが機械的、反復的、あるいは精神的に疲弊するタスクを取り除くとき―つまり、AIが機械的な仕事を肩代わりしてくれるときだということです。
AIを職場環境改善に利用するメリット
生産性を測る際にはほとんど考慮されないものの、従業員のエネルギーを奪い、組織に莫大な損失をもたらす要因があります。それは「職場での人に対するネガティブな言動」です。米国人事管理協会(SHRM)によると、米国の企業は職場でのネガティブな言動によって、1日あたり約20億ドルを失っています。そのうち12億ドルが生産性の低下、8億2800万ドルが欠勤によるものです。
同様に、個人的損失も甚大です。他者からのネガティブな言動を経験または目撃した労働者は、1件につき平均31分の生産性ロスを申告しています。さらに注目すべきは、職場で自分にネガティブな言動が向けられないようにするための意図的な欠勤が平均で月0.61日、直接トラブルを経験した人では平均1.5日も発生しているということです。
ここでもAIが、意外な形で従業員体験を改善する役割を果たします。AIは、人がネガティブな言動を取らないように手助けすることもできるのです。
多くの人が職場でのコミュニケーションに苦労するのは、善意がないからではありません。ストレスや焦り、文化やコミュニケーションのとり方が違う人々に自分の思いがどう伝わるかわからない不安などが、主な要因となっています。その点、AIはリアルタイムのコミュニケーション助手として、メールやチャット(Slackなど)の書き言葉を、丁寧でわかりやすく、建設的なものに整える手伝いができます。
たとえばメールの文章に悩むときには、AIに語調を確認してもらい、好感度を上げる言葉遣いの提案や、誤解を招く表現がないか指摘を受けることができます。時間に追われる中でも、返信メッセージがぶっきらぼうや冷淡に聞こえないか、AIを使ってチェックできます。多文化な職場では、伝えたいメッセージが異なる文脈でどう受け取られるか、ガイダンスを得ておくこともできます。
ここで求められているのは、無難なコミュニケーションや、企業的な定型文を作ることではありません。ストレスや疲れ、焦りで普段のコミュニケーションスキルが発揮できないようなときにも、意図したとおりに言葉を伝えられるよう、従業員を補助するツールとして、AIを利用できるようにすることなのです。
このアプローチの強みは、実際に悩みごとを解消しながら、AIとの協働スキルを学べること。AIが単なる技術的タスクのためのツールではなく、人間関係の複雑さを乗り越えていくための思慮深いパートナーとなってくれることを、身をもって学べることです。こうして従業員の日々の悩みを解消することで、企業は職場文化と業績をともに、目に見えるような形で改善できるのです。
AI導入で変化に常に対応する力を育てる
ここでさらに広範な価値が生まれてきます。従業員体験の改善を通じたAIの導入は、ただAIを業務に活用しようというだけでは得られない、戦略的価値をもたらします。それは「企業が継続的に変革する力」の底上げにつながるのです。
従業員のニーズに寄り添ったAI導入は、3つの重要な「リインベンション(再構築)スキル」の涵養につながっています。
不確実性を受け入れる力:AIを活用するには、その曖昧さを認め、AIには継続的なアップデートが必要であると理解することです。これはAIに限らず、あらゆる変革を乗り越えるために不可欠なスキルです。
試行錯誤を厭わない思考: 実験的に使って学びを得る、その学びを応用してみる、というプロセスで、AIの使い方は最適化されていきます。このような実験的アプローチは、どんな変革を取り入れる際にも重要です。
人とテクノロジーの協働:どうすればAIを使って効果的に働けるかを追究することで、新しいツールやプロセスに適応できる幅広いスキルが身につきます。これは、継続的な変化に対応していくために欠かせないものです。
職場環境の改善からスタートするAI導入は、システム全体に好影響を与える
従業員体験からAI導入をスタートすることは、組織全体に利益をもたらします。抱えるストレスが少なくエネルギーあふれるチームは、適応力やレジリエンス(回復力)が自ずと高く、制度の変更や、サプライチェーンの変化、競争による圧力など、さまざまな変革に柔軟に対応できるようになります。
私たちはこのような流れを「リインベンション・フライホイール(再構築の好循環)」と呼んでいます。変化への適応が成功するたびに、次の変化に対応する自信と能力が高まります。AI導入は、単なる技術導入を超えた、組織全体が学びを得るための触媒となれるのです。
実践的なステップまとめ
小さな個人的課題から始める:健康の悩み、学習目標、生産性を上げるため個人的に取り組みたいと思っていることなど、パーソナルな課題解決からAIを取り入れていきましょう。
エネルギーの消耗原因を洗い出す:何が従業員のエネルギーを消耗させる原因となっているのか、従業員の率直な考えからつきとめましょう。まずはAIで何が解決できるかを探ります。
学び合いのコミュニティをつくる:従業員同士がAIへの気づきや活用法を共有する場を設けましょう。仲間同士の学び合いは、トップダウン型の研修よりも高い効果を示します。
効率だけでなくエネルギーを測る:従業員の満足度やストレスレベル、エネルギーの状態など、従来の生産性の指標とは異なる部分も評価しましょう。
成功体験を積み重ねる:AI導入の初期成功事例を、社内のポジティブな変化の可能性として示し、その教訓を企業全体のより大きな課題に展開します。
AIの本当の利用価値とは
絶え間ない変化の時代を生き残る組織とは、必ずしも最先端のAIシステムを持つ企業ではありません。AI導入を、従業員の働き方を根本的に改善する機会として捉えられる企業こそ、生き残りに成功します。
それが成功するか否かが及ぼす影響は甚大です。ギャラップ社によれば、2024年には従業員エンゲージメントが2ポイント低下し、世界経済に推定4,380億ドルの生産性損失をもたらしました。これは単なる「人の問題」ではなく、企業の存続を左右する経営課題です。
ここで述べたAIの導入方法は、AIの成果を高め、組織のレジリエンスを強化するという、二重のメリットをもたらします。テクノロジーを、さらなるプレッシャーを生み出すものではなく、複雑さに対応していくための味方と捉えられる社員は、自ずと変革を推進できる人材になります。
これまでAIは、人間の仕事を奪う、もしくは労働者から生産性を搾り出す道具として描かれてきました。しかし、AIを「より人間的で活力のある仕事をもたらすもの」と捉えれば、まったく異なる結果が見えてきます。
ですから問題は、企業が再構築を続ける必要があるかどうかではありません。その答えはもうわかっています。問題は、AIを人間の幸福のために使うのか、それともすでにストレス過剰な社会で新たなプレッシャーを生み出すものとして捉えるか、ということです。
賢い選択が求められています。その選択が、社員の活力と企業の未来への適応力を左右するのですから。
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