知識へのアクセスが民主化した時代、外部の技術や知見に頼る戦略は一見合理的に見えます。しかしそれだけでは、競争優位となるイノベーションは生まれません。本稿では、R&Dを社会システムから捉えなおし、企業内部にビジネス機会の源泉を置くことの重要性を考えます。
外部に頼るだけではイノベーションは起こせない
ビジネス機会の源泉は、情報の非対称性にあります。情報の非対称性とは、端的にいえば、他に知られていない新規性のある情報へのアクセスを保有していること。情報の非対称性をいち早くキャッチし、事業化できれば競争優位につながります。しかし、AIの普及によって知識へのアクセスが民主化した現在、あっという間に非対称性は霧消してしまいます。そこで重要なのが、自らの組織内で非対称性を生み出すR&D(研究開発)です(ここでいう研究開発とは、いわゆる自然科学系の実験などによるものだけではなく、社会科学的な、人々の行動に対する研究なども含みます)。
この20年くらいで、オープンイノベーションが流行しました。新しい知識を生み出す競争は世界中で起こっているのですから、社外で生み出された知識を社内の知識と組み合わせて新しいイノベーションをつくることは理にかなっています。
ここで勝てるのが、自社でR&Dをしている企業です。社内に知見があり、最先端を理解しているからこそ、どの外部知識が自社にフィットするか目利きできる。内外の知識を組み合わせて、他社にはない非対称性を生み出せます。
CTOは技術と経営をつなぐ翻訳者
ですから、CTOの役割は重要です。
まず、技術トレンドをしっかり把握していること。これには博士人材の確保が欠かせません。新しい知識は、論文や特許になった段階ではすでに遅い。価値は、「知が生まれようとしているコミュニティ」にアクセスできるかで決まります。世界のトップ学会とつながる博士人材は、企業にとって重要な「対外センサー」となるでしょう。
第二に、自社の技術的強みを把握し、経営戦略に変換して投資判断につなげること。CTOはいわば、技術と経営をつなぐ「翻訳者」です。これは単なる技術的リテラシー以上のものを必要とします。CTOには、ある技術がなぜ自社のアイデンティティにとって重要なのか、それがバリューチェーンのどこに位置づけられるのか、あるいはそれをどのように変えうるのか、そしてなぜ継続的な投資に値するのかを言語化できる力が求められます。こうした翻訳がなければ、たとえ優れた技術であっても、既存事業とは無関係なものとして見過ごされてしまうリスクがあります。CTOがその技術を「自社がこれまで培ってきた強みの延長線上にある戦略的な取り組み」として明確に位置づけることができてはじめて、経営陣は資源配分を決断し、新たな能力の構築に踏み出すことが可能になるのです。
たとえば味の素。世界で初めてうま味調味料を開発した食品メーカーですが、近年は自己定義を「アミノサイエンス企業」へとシフトさせました。技術オリエンテッドな会社へと変化した好例です。「食品会社」や「サイエンス企業」といった広いカテゴリでは、生産性のフロンティア──すなわち既存のベストプラクティスの最前線──にいる企業はごく少数です。多くの企業はその下層に位置しており、そのフロンティアに効率化や最適化で追いつくことが投資効率として優先され、イノベーションへのアンテナが立ちにくい。一方で、「アミノサイエンス」というより狭く専門性の高い領域に自己定義を切り替えることで、味の素は「狭い領域のフロンティア」に立ちやすくなりました。最先端にいれば、新しい潮流や自社ビジネスの陳腐化の兆しをいち早く察知でき、イノベーションの感度が高まります。
味の素が高性能半導体パッケージの基盤となる絶縁膜(ABF:Ajinomoto Build-up Film)で世界シェアをほぼ独占しているのは、その象徴的な例です。アミノ酸化学の知見が半導体膜技術に応用できると気づいた技術者がいて、企業はそれを正しく価値づけ、バリューチェーンを説得して事業化を後押しした。まさにR&Dで経営戦略が主導された例であり、食品会社としてのアイデンティティのままではなし得なかったことです。
同じ構図はフィルム産業にも見られます。コダックが市場変化に対応できず倒産した一方、フジフィルムは自社のコア技術を化粧品へ応用し、生き残りに成功しました。
多くの企業は、AI を活用する意向を持っている段階にとどまっており、ユースケースを検討しているか、そもそもどこから始めればよいのか模索している状況です。
イノベーションのあり方は社会システムによって異なる
ただし、イノベーションの観点だけでいえば、フジフィルムのように企業内部で多角化して生き残ることが最善とはいえません。日本企業の多くは、一社で複数事業を抱えリスクをシェアしますが、米国企業は専業化しており、事業が陳腐化すれば会社ごと消滅する。ハイリスクですが、成功している期間は非常に高いリターンを得られる構造です。
この違いは、企業単体の選択というよりも、企業を取り巻く社会システムの違いに起因します。イノベーションは財務諸表上では「超過利益率」に現れます。過去40年の超過利益率トップ20を日米で比較すると、アメリカでは製薬、ソフトウェア、バイオといった研究開発集約型企業が並ぶ一方で、日本では半導体メーカーのヒロセ電機やトヨタ自動車に加え、セブンイレブンや伝統酒造メーカー、小売企業など、必ずしもR&D集約産業ではない企業が上位に入っています。
つまり、アメリカではイノベーション投資をしなければ超過利益が得られないのに対し、日本ではサプライチェーン改善やブランディングといった「既存の効率化」でも利益率を押し上げることができてしまうのです。経産省はアメリカ型のイノベーション重視の構造にシフトしていこうとしていますし、そうでなければ日本企業は下請け化していってしまうかもしれません。ただ、我々はイノベーションや経済成長だけを追求して生きているわけではないので、社会として何を選択するかは慎重に考えるべきだと考えます。
アメリカの製薬企業の超過利益率が高く見える理由には、赤字企業の多さもあります。アメリカは上場企業の赤字比率が非常に高く、その多くはスタートアップです。赤字とは投資の結果であり、成功すれば急伸し、失敗すれば買収される。モデルナがその典型で、COVID‑19のmRNAワクチンで脚光を浴びるまで、20年近く赤字で研究開発を続けられたのは、投資家がエコシステム全体に分散投資していたからです。こうした新陳代謝がエコシステムをつくります。フィルム産業の話に戻ると、コダックやポラロイドの研究者は、フィルムが終わると気づいた瞬間にスタートアップや大学へと転じ、医療画像、デジタルイメージング、AI画像処理など新産業へ広く知識を拡散させました。イノベーションは企業内で飼いならされず、野に放たれていったのです。一方、日本のフジフィルムは、同じ危機を企業内部のリソース転換だけで乗り越えました。フジフィルムはそれで成功しましたが、産業全体の転換速度という点では、アメリカのような流動的なシステムのほうがずっと速いのです。この結果は、社会構造の違いに根ざしています。日本では、技術が陳腐化しても企業が存続することが可能になりますが、その代償として、経済全体における資源の再配置は緩やかなものにならざるを得ないのです。
基礎研究をどこに置くにも自社R&Dは重要
アメリカでは、政府が「公共財」として研究開発に巨額投資を行ってきた歴史があります。国防総省などが基礎研究を支え、大学とスタートアップの間で人材や技術が循環するエコシステムが形成されているのです。一方、日本は基礎研究の多くを企業が担ってきたため、同じ仕組みを再現することは難しく、これがイノベーションの速度に差を生む一因となっています。では日本もアメリカ型を全面的に目指すべきなのかというと、それもまた違います。2
アメリカでは研究人材の流動性が高いぶん、企業は大学や国の研究機関と密接に連携しますが、大学のリソースは特定企業が独占できるものではありません。優れた研究者は取り合いになりやすく、そもそもどの大学にどの研究領域を頼るべきか判断するためにも、自社内のR&Dが基盤として必要になります。つまり、「外部に頼るほど、内部の強みとして、自社で情報の非対称性を持っておくことがより重要になる」という逆説が生まれるのです。
日本の長期雇用は、研究者にとって腰を据えて基礎研究に取り組める環境を提供してきました。日米の制度の違いは、ショック時の対応に顕著に現れます。リーマンショックやコロナの際、アメリカが雇用を切って生産性を維持したのに対し、日本は雇用を維持しました。日立の研究員が生涯日立で働き続けることは、近年人材の流動性が増してきてはいるものの、日本ではごく一般的です。このような環境の違いには一長一短あるので、どちらかを理想とするのではなく、補完的なアプローチがよいのではないかと考えます。たとえば欧米企業は、基礎研究が強い日本に研究拠点を持つ。日本企業はアメリカに拠点を置いて、そこでスタートアップのエコシステムを利用していく。国ごとの強み弱みを戦略的に使っていくということも、イノベーション創出の鍵となるかもしれません。
イノベーションに内からのサポートを
企業のイノベーション研修でお話しするとき、私はまず「あなたの会社のボトルネックはどこにありますか?」と伺います。これは多くの方が答えやすい。ところが、次の質問では空気が変わります。「あなたは、この会社で何をしたいですか?」──なぜかほとんどの方が、答えに詰まってしまうのです。
動機の言語化はむずかしいかもしれませんが、研究分野ではすでに「内的動機づけが高い人のほうが創造的である」ことが実証されています。イノベーションとは、探索の幅と量から生まれるもの。外的動機づけ(褒められる、昇進する)では、人は必要なぶんだけしか探索しませんが、内的動機づけの高い人は、誰に言われなくとも自発的に試し、考え、学び続けます。イノベーションを生み出すのは、こうした人材です。
企業がすべきは「全員をイノベーティブにすること」ではなく、内的動機づけの高い人を見つけ、その人を中心に据え、周囲がサポートする体制を取ることです。
そのためにも、経営層は自社のビジネスのいいところがどこにあるのかを、抽象的ではない言葉で発信することが重要です。合う・合わないが明確な文化を打ち出すことも、ときには戦略となります。合う人にとっては、強いカルチャーこそが企業価値そのものになるからです。社員が自分の動機を見出す手がかりにもなり得ますし、離職率が少し上がるとしても、「合わない人が無理に残る」状態を避け、健全なカルチャー形成につながります。
R&Dに関しては、どの領域で研究開発を行っていて、成功すれば何が起こるのか──その道筋を社内外へ丁寧に共有することが求められます。研究畑の方は、技術の深い理解を持つ一方で、それをビジネスとしてどのように位置づけるのかを言語化するのが苦手な場合もあります。CTOはその橋渡し役を担うわけですが、それをひとりで背負わせてしまうのは酷です。CTOへも、周囲からのサポートが大切です。
橋渡し役をCTOひとりに任せず、組織としてR&Dポートフォリオを定期的に見直し、成功すれば何が可能になるのかを示すロードマップを、IRなども活用しながら内外へ明確に伝えていくことが重要でしょう。
イノベーションは、個人のひらめきだけで生まれるようなものではありません。組織の構造や文化、人々の動機づけが組み合わさることで成立します。社外知の活用、社内専門性の蓄積、意欲ある人材の活躍、そしてCTOを軸とした技術と戦略の橋渡しをどう支えるか。全体としての設計が、これからのイノベーションを形づくっていくのです。
- 白神浩「持続的イノベーションで未来を共創する、志と科学の経営:味の素グループの戦略的アプローチによる経営変革」『一橋ビジネスレビュー』73(3):32-46、2025年
- 清水洋『イノベーションの科学』中公新書、2024年
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