2025年4月29日 | 所要時間: 10分
今、「デザインの力」がかつてなく必要とされています。ビジネスの環境が急速に変化する中で、不確実性に対応し、スピーディーに行動するために。
生成AIが飛躍的な進化を遂げたことで、私の専門領域である「デザイン」にも一層の注目が集まっています。
生成AIは、創造的な表現を一気に民主化しました。いまや、アイデアを視覚化したいと思えば、生成AIにプロンプトを入力するだけで、誰でも数秒でイラストデザインを手に入れることができます。それはプロの水準に見えることさえある(あくまで『見える』レベルですが)。私自身もプロとして驚きと興味を抱きつつ、慎重さが求められていることも感じています。生成画像が気に入らなければ「もっとレトロに」「文字を入れて」と修正指示もできます。こうした調整はつい最近まで、長年の研鑽を積んだトップクラスのデザイナーを含む、熟練クリエイターの占有領域でした。
生成AIが瞬く間に洗練されたビジュアルを生み出すそのスピード感は、かねてから存在していた「デザインの価値」(あるいはその欠如)をめぐる議論を再燃させています。近頃は効率を強調する声が一段と大きくなり、生成AIの新モデルが発表されるたびに、ウォール街やベンチャーキャピタルは企業経営層に対しコスト削減を迫り、「生成AIが技術主導で進化し続ける中で、デザインに投資を続ける必要はあるのか?」と疑問を投げかけます。残念ながらこの2年間、優れたインハウスのデザインチームや有力な代理店がこうした考えの犠牲になるのを目のあたりにしてきました。
クリエイティビティが疑問視される一因は、決定権者とデザイナーの距離にあるのかもしれません。企業におけるデザインやクリエイティブの価値は、単にパワーポイントを見栄えよくつくるだけのものではありません。本質的な価値は、経営層がまだ見えない未来を見通し、課題や可能性を察知できるようにすることにあります。デザインには、実現可能な未来を、形にする力があるのです。私はこれまで、優れたデザイナーと共に創造プロセスに関わった経営層が、その価値を目の当たりにし、気づきを得る瞬間を何度も見てきました。そう、すぐれたデザインは人間の本質をあらわにし、解決すべき課題を的確に示し、イノベーションを導く羅針盤となり得るのです。
AIは、人間―特に知的労働者―を単純作業から解放し、より高度でクリエイティブな仕事に集中できるようにするといわれています。私は、AIがもたらすこの自由こそが、企業のクリエイティブチームがイノベーションを触発するために欠かせないものだと考えています。
AIはツール、デザインは羅針盤
ここで誤解のないように…これはデザイナー仲間を震え上がらせるかもしれませんが、私は生成AIをデザインツールとして否定しているわけではありません。生成AIは、疑いようもないパラダイムシフトです。私たちは皆、AIを理解し、うまくつきあう方法を学ぶべきです。私の考えはこうです。生成AIの出力は試行錯誤を前提としたもので、どこをどう直しどの方向に仕上げるか、人間が関与し続けて初めて完成します。AIに指示をし続けるのか、それとも自分で鉛筆を握って描き直してしまうか…ここがジレンマになりますが、タスク重視のプロデザイナーの仕事はしばらく、AI作業にどこから人が手を入れるべきかを悩みながらやっていくことになるのだと思います。
デザインへの投資が精査されるとき、デザインの幅広い力は近視眼的に無視されがちですが、デザインの価値は単なる成果物づくりにとどまりません。デザインは問題解決のためのアプローチであり、人間らしい体験を掘り起こす営みです。その体験の先で、お客様がサービスの価値を実感する瞬間―私はそれを「真実の瞬間」と呼んでいますが―それは広告に沿って消費者が動く仕組みだけでは得られないものです。この「真実の瞬間」にこそ、私たちはお客様とつながり、価値を提供し、関係を築く機会を得ます。こうした新しい発想は、データや予測モデルだけからは生まれません。従来とは異なるアプローチや方法論が必要です。生成AI時代においても、デザインの思考法やプロセスが活きる土壌は豊かに拡がっているのです。
行動変容につながるデザイン
デザインの思考法が活きる土壌として挙げられるのが、今注目されている肥満の蔓延と、GLP-1作動薬の影響です。GLP-1は、特に食欲を抑える効果があることから、副作用に耐えられる人にかぎり、減量の手段としての有用性が示されています。しかし、注射による投与をやめると、食欲が戻り、体重も元に戻ってしまうという落とし穴があります。
生成AIと同じく、GLP-1自体を否定しようというわけではありません。強調したいのは、GLP-1もあくまで「ツール」であるということです。薬は体重増加につながる人間の行動を抑制しますが、根底からの行動変容を促すわけではありません。
私はあるバイオテクノロジー企業とともに、別のアプローチからの体重管理法に取り組んでいます。GLP-1とこのアプローチを比較したいのではありません。課題をデザイン主導、人間中心で捉える一例としてお話しします。
当該企業では、人間の呼気に含まれるバイオマーカーを記録するデバイスを開発しています。利用者は毎朝そのデバイスに息を吹きかけることで、直近24時間の代謝の様子や脂肪燃焼を把握することができます。自分の食事は本当に適切なものなのかーこの検査装置が生み出す「真実の瞬間」は、利用者のエンゲージメントの基盤になります。医療従事者はこの検査データをもとに、個別最適な健康管理や減量プランを提案できます。この手法は、減量に関するメンタル面への働きかけにもつながります。
この方法は効果的で、人々の行動が変わります。GLP-1以外のほかの減量プログラムと比べても、6ヶ月でより高い減量効果が観測できます。違いは、この手法が「真実の瞬間」に利用者と向き合い、行動変容を促していることにあります。
利用者に寄り添ったデザインを可能にする3つの要素
「真実の瞬間」を軸に置いたデザインはどうすれば可能かー。ウェルネス体験の設計にあたり、私たちは利用者に適切に寄り添うため、3つの要素に留意しました。
新たな価値の創造
画期的なアイデアは、利用者に「今までになく、よい」価値をもたらします。これは単なる追加機能ではなく、真新しい体験です。しかし、明確なメリットが提示されていなければ、利用者はあえて新しいものを選びません。前述のバイオテクノロジー企業とのプロジェクトでつくり出したのは、減量を目的とした真新しい体験です。「呼気スコア」という新たな指標には、体重計の測定値以上の有用性があり、恥ずかしさも少なく、さらにそのスコアに応じてコーチングやアドバイスも組み込みました。
情報の整理と見せ方
今は情報過多の時代です。人間の感性に敏感なデザイナーが、利用者の「使ってみたい」を引き出せるよう、必要な情報だけを魅力的に、わかりやすく提示することが重要です。なぜその新しい体験には試す価値があるのか、すぐ理解できるように情報を整理して見せます。その体験が、利用者の期待や優先順位、不安や困難、そして日常でどんなことをうれしく思うかを設計に取り入れていることも伝えねばなりません。
また、メリットは定量的に示すことも重要です。新しい体験がどれほどの価値をもたらすか、十分に伝えられていますか?
感情を呼び起こす力
デザインには感情に訴える側面があります。販売を目的とした宣伝活動を超えて、意味のある体験を生み出し、行動や習慣を変えるきっかけをつくります。人がブランドや体験にハマるのは、それが「大事なところを突いてくる」からです。そして、同じ価値を体験してほしいと、友人に共有したくなるのです。
呼気スコアの利用者に対して、私たちは「大事なところを突いてくる」を実現しています。「大事なところ」とはつまり、利用者が自分自身の可能性に気づき、習慣を変え、健康を改善する力を実感できるよう支援することです。データや推論モデル、コンピューターの計算能力だけでは、そこまでのことはできません。アルゴリズムが人間の関与なしに非線形な選択を行い、人間のニーズ、科学的要因、ビジネスや業界のニーズなど複雑な要素が絡み合う中で「意味ある真実の瞬間」への道筋を立てることは、私の知る限り不可能です。
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生成AIへの投資によって生産性が高まり、より高度な思考に時間を割けるようになるとすれば、デザインチームがその創造的な問題解決の担い手となるでしょう。
イノベーションに活かせるデザインの思考
多様な客層へのサービス提供を目指すなら、価値観のちょっとしたニュアンス違いや、ときには矛盾にも対応していかなければなりません。このような複雑な状況に対応するためには、ビジネスリーダーがチームとともに、多様な視点を持つことが不可欠です。
言い換えれば、肩書きだけでお互いを見るようなチームでは、顧客に十分に応えることができません。
あなたが向き合う顧客層は、多彩な属性が織りなす美しいタペストリーのようなものです。あなたが彼らを分析するのと同様に、彼らはあなたのブランドのあり方を見ています。多様性に応えるための進化ができないブランドは、やがて断絶や認知的不協和があちこちで表面化し、価値や体験を思うように提供できなくなってしまうでしょう。
多様性のあるチームを組織し、「肩書きではなく人間として」互いを見ることを当たりまえにすれば、同僚が実は深々と感じてきた「顧客の価値観や期待の微妙な違い」が見えてくるでしょう。付箋とペンを使って事業マップをつくる、ワークショップの話をしているのではありません。多層なメンバーの存在が、これまで接点を持ちにくかった顧客との関係構築を可能にするのです。
また、ビジネスリーダーは、人間中心のイノベーションが直線的に進むものではないことを認識しておくべきです。それは決まったテンポで、着実に進むものではありません。イノベーションを担うチームには、地平線を見渡し、長期的な視点を持つ時間と余裕が必要です。お客様の価値基準がどう変わるのか、お客様そのものがどう変わるのか、今日のお客様に響くものが未来のお客様にも響くのか―このような長期視点は、現在の中核サービスや事業を、将来の成功のためどこかで変更する、あるいは何かに置き換えるべきかを予測する手がかりとなります。
中核サービスを変えるような必要に迫られる事態が具体的にどう起きるのか、ほとんどの企業にはそれを見極める情報が不足しています。ここで役立つのが、デザインの基本原則である「プロトタイピング」と「実験」です。反復を重ねるたびに、新しい情報が得られ、次の意思決定に活かせます。たとえばチームに、先週得た学びは何か、それは当初の計画とどう違ったかを尋ねてみてください。そして、本当に必要なことを得るために、今週は計画をどう見直し、どう大胆に変えるかを聞いてみてください。このような思考プロセスを通じて、組織はイノベーションの筋肉を鍛え、中核サービスを補完したり、部分的に置き換える新しいサービスを生み出せるようになります。
企業の真価は変化に対するクリエイティブな問題解決力にある
企業の強みは製品やサービスを提供する力にあると考えられがちですが、それだけではありません。どんな企業にも、変化に対応し、新しい価値を生み出す力が必要です。顧客ニーズが変化していくものなら、その変化を読み取り、新しい体験を届けるための仕組みやスキルが求められます。
効率性は金融市場で評価されますが、評価が長続きしないことも多々あります。長期的に企業を支えるのは、クリエイティブな問題解決力です。生成AIへの投資によって生産性が高まり、より高度な思考に時間を割けるようになるとすれば、デザインチームがその創造的な問題解決の担い手となるでしょう。