Article by
エリザベス・アダムズ
(Elizabeth Adams)
米EMA Advisory Services CEO。「責任あるAI(Responsible AI)」を専門とする
5 FEB 2025 | 5 min read
AIで業務環境が進化する中、企業と社員の関係も進化しなければなりません。AIの当事者は、現場で働く人々です。社員が安心してAI導入に意見をいえる環境づくりが大切です。
「自分は会社と建設的な協働関係(パートナーシップ)を築けている」と胸を張って言える人は、今どれほどいるのでしょうか。AIの設計や開発に関して、自分の考えや期待、不安を率直に語ることができる――自分はそんな「安全な職場環境」にいるのだと、どれだけの人が答えられるでしょう。このふたつの問いに「はい」と答えられる人がどれほどいるのか――その現実を直視すれば、企業と働き手の間にあるはずの信頼関係が、揺らぎ始めていることが見えてきます。
働く人々の自信が失われつつある兆しは、記事の見出しやSNS上の議論、そして私自身を含む多くの研究者の調査にはっきりと表れています。次世代のAIへの期待が高まる一方、「ある職種で人間が必要とされるのはいつまでか」「これまでのスキルがいつまで通用するのか」「自動化が進むと自分の価値が軽視されるのではないか」といった社会的な不安も深まっています。これらに向き合わずにいれば、近いうちに衝突が起こるでしょう。
AIに対する不安が長期的に続くかどうかは、まだわかりません。しかし、
ピュー研究所、 アメリカ心理学会、 エデルマン・トラストバロメーターなどの調査は、実際に相当数の労働者が深い懸念を抱いていることを示しています。働く人の不安に直結する問題へ早期に対応することは、必ずしも、企業がAI導入や拡大を進めるうえでの「高コストな障害」にはなりません。むしろ、従業員との信頼関係を強めるためのフレームワークを整備するチャンスとなり得ます。
こうした状況を受け、「責任あるAIガバナンス」を組織に行き渡らせることをビジョンに掲げる企業が、世界中で増えています。これは、確かに重要な第一歩です。しかし問題は、その先です。私は企業がまず優先すべきは、社員がAIに対する期待や不安を、安心して伝えられる環境づくりだと考えます。社員をAI導入に積極的に関与させ、「労働者の安全宣言(Worker Safety Statement)」を採用することで、企業内に協働の文化が生まれ、AI導入を成功に導くための土壌ができます。社員を「AI導入の当事者」として扱うことは、企業がAI活用を進めるために欠かせない要素なのです。
「労働者の安全」というと、工場のラインや建設現場など、肉体労働の現場が想起されるかもしれません。しかし、AIが社会や市場の構造を変えつつある今、安全の概念そのものも進化する必要があります。
AIへの信頼は、安全性の確保から始まります。社員が心理的、業務的、倫理的に「安全だ」と感じられる環境でこそ、組織のAI活用への信頼は高まり、自社の成功に貢献したいという意欲が育まれます。「安全」とは、物理的危害を避けることだけではありません。報復を恐れず声を上げられること、搾取される不安なく意見を述べられること、AIの運用に建設的な異議を唱えられること――これらが保障されてはじめて、本当の安心が生まれます。社員の視点を尊重することは、AIシステムへの信頼を深めるだけではありません。AIの設計への、主体的な参加につながります。
AIなど新しい技術の導入方法を模索する中で、現代の職場環境は急速に変化しています。だからこそ、テクノロジーを率いるリーダーには、社員の声を安全に、そしてきちんと意思決定に反映させる責任があります。物理的な環境を安全に保つのはもちろんのこと、倫理面でも従業員が関われる仕組みを整えることは、責任あるAIの核心を成す取り組みです。この原則が欠ければ、企業は従業員の信頼を失うだけでなく、自ら強化しようとしているAIシステムそのものを危うくしかねません。
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社員が心理的、業務的、倫理的に「安全だ」と感じられる環境でこそ、組織のAI活用への信頼は高まり、自社の成功に貢献したいという意欲が育まれます。
AI導入で守られるべき「社員の安全」とは
私の研究―直近では15社51名への3,000時間を超えるインタビューを読み込み分析したもの―では、ある重要な事実がくり返し浮かび上がっています。働く人々の多くが、「AIに関する重要な議論に、自分たちは関与できていない」と感じているのです。調査対象者やその同僚は、自分たちが「組織の成功に深く関わる利害関係者」であると認識しており、顧客やクライアントに対する重要な窓口であると考えています。しかしその一方で、懸念事項を報告したり、自分たちの知見を共有するための「正式な経路」が組織内に存在しない、とも感じています。この報告経路がないことは、信頼を損ない、イノベーションを停滞させ、企業が責任ある形でAIを発展させる力を弱めてしまいます。
私は調査対象者との対話で「もし 責任ある AI の取り組みに参加してほしいと会社から言われたら、どのように関わりますか?」という質問を必ず聞いています。印象的だったのは、あるカスタマーケア担当者の回答でした。その方は、AIチャットボットに関する利用者からの質問にうまく答えられなかったのですが、その原因は自分の視点が開発プロセスに取り入れられていなかったことにあり、お客様に寄り添えなかったことが悔やまれると話されていました。こうした状況を避けるには、社員にAIツールや研修機会を提供し、業務に影響するAIシステムの導入試験に参加してもらい、外部ステークホルダーに自社のAIの仕組みを自信をもって説明できるようにすることが必要です。さらに、社員が懸念事項を安心して社内に共有できる、安全なコミュニケーション経路を整備することも欠かせません。
従業員の想いや悩みを企業が「見ている」「真剣に受け止めている」と伝えるプロアクティブな姿勢は、形式的なものに見えるかもしれません。しかし、それは極めて重要な取り組みです。AIの未来を形づくるうえで、従業員を中心に置くという意思表示は、経営が彼らを尊重していることを公式に示す行為だからです。
AIの導入は、滑らかに進むものではありません。多面的で複雑です。思い返せば、サイバーセキュリティの取り組みを組織が受け入れてきた過程とよく似ています。失敗も起きるでしょうし、混乱も生じます。修復も必要になります。それでも、その過程で前向きな勢いが生まれることもあります。少なくとも「労働者の安全宣言」を掲げることは、自社が「正しい姿でAI導入を進めようとしている」という意思を従業員に明確に伝える行為なのです。
「正しい姿」とは何か
まず初めに必要なのは、社員が自分の意見や心配ごとを伝えられる仕組みです。たとえば、アイデア・気づき・懸念事項を投稿できるデジタルプラットフォームを整備すること。あるいは、従業員が主体となって運営し、経営層も参加するタウンホール(全社会議)のような場を設けることも考えられます。安全に集まれる「場」と、誰もが参加できる「方法論」を用意することが重要です。
最初の一歩を踏み出す
AIを全社展開する際に重要なのは、トップの理解や承認だけではありません。経営幹部全員の合意形成が不可欠です。本来的には、すべての経営層が「労働者の安全」に関心を持つべきだからです。
では、リーダーはどのように「従業員の関与」を、「労働者の安全宣言」の枠組みと結びつけていけばいいのでしょうか。まず強調すべきは、AI導入のビジョンや活用目的の透明性です。AIツールが組織にどのように貢献するのか、社員はどのようにその成功へ関与できるのか——これを明確に説明する必要があります。AIの開発・ガバナンス・活用方法、そしてなぜそのユースケースを選んだのか。こうした点を、従業員が理解できるように伝えることが欠かせません。次に求められるのが、社員が意見を届けられる連絡経路の設計です。たとえば、社内情報共有用のデジタルプラットフォームの導入、AIの導入方針や手順をレビューする専任グループの創設、(部署横断的なメンバーが参加する)AIアプリを導入前に検証するチームづくりなどが挙げられます。こうした仕組みは、コーポレートアフェアーズ(広報・渉外)、CIO、CHROが共同で担うイメージです。
「労働者の安全宣言」は、従業員がAIについて学び、意味のある形で関与できるように、教育機会へのアクセスも求めるべきです。この領域は、 CHRO と CTO が強く関わることができます。そして最後に重要なのが、「報復からの保護」を明記することです。従業員が安心と熱意を持って声を上げられる環境がなければ、健全なAIの導入は実現しません。これは CHRO、法務責任者、そして必要であれば従業員代表が協働して整えるべき項目です。
「労働者の安全宣言」は、組織の誇りを象徴し、進化する文書として扱うことが重要です。完璧である必要はありません。むしろ、未完成であることを認める姿勢こそが、成長と適応への意思表示となり、責任あるAIの重要な要素となるといえます。
もしこれらの取り組みを怠れば、「何もしないことのコスト」が発生します。何もしないことは、余計なリスクを招きかねません。AIの失敗が評判を損ない、信頼を崩してしまう可能性もあります。組織内で最もAIの実務に近い立場にいる社員こそが、問題が生じたとき誰よりも早くその兆候に気づき、プロセスの軌道修正に貢献できるのです。
安全で責任あるAIは、贅沢品ではありません。あったらよいものではなく、不可欠なものです。
社員を変革の中心に据える
業務外でAIをよく使う社員を、AIの設計や開発に関する議論に参加させることが有効であるということも、私の研究で明らかになっています。プライベートでAIを活用し、経験を蓄積している社員は、組織側が意欲的に登用すれば「自分の責任領域と会社の目標とをつなぐ架け橋」になり得る存在です。社員を中心に据えることで、企業は現場のリアルな体験、文化的知性、そして最前線の知見にアクセスできるようになります。こうした視点は、AIの設計やガバナンスの“死角”を見抜くうえで欠かせません。AIに前向きで、自らを「倫理的イノベーションの実践者」と捉える社員は、一定数存在します。こうした主体性を発揮できる環境を整えることが大切です。
「労働者の安全宣言」の策定は、大胆な、未来への希望を示す行動です。それは企業が「安全で創造的な環境を築く意思がある」という強いメッセージになります。企業は社員を巻き込みながら「未来の働き方」をともにつくっていくことで、社員への敬意と信頼を示すことができます。そして何より、企業と従業員の間に、さらには AIと社会の間にも「信頼」というパートナーシップを築くための土台が形成されるのです。